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物作りの原点とは、いつどこで?

そう確かあの日だったのです。私の物づくりへの扉が開かれたのは。

当然私は昭和の子供ですから、放課後いつものように、近所の子供たちがどこからともなく集まって、私の家の大きな物置きでなにやら遊んでいたのです。
そこへ、小学2年生で同じクラスの三原くんが、やってきて意気揚々と何かを高くかざしたのでした。
俺が作ったんやと言ってみせてくれたのは、50円のF-104ジェット戦闘機でした。
ちなみに、そこは京都の修学院です。

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そこにいた全員が、一瞬息をのんでその飛行機のプラモデルを手に取ったのでした。
今から思えば、接着剤がはみでたりしてて完成度は低かったはずなのに
自分でこれを作れるんだ、それがお店で買えるんだとわかった衝撃は今も昨日の事のように覚えています。

もちろん、そこにいた全員が50円をにぎりしめて、その駄菓子屋に直行したのは、言うまでもありません。
それからは寝ても覚めてもプラモデル大好き少年になってしまい、おこずかいをもらえばお店に直行でした。
中学1年ぐらいまで、その情熱は続いてました。

今自分は家具の試作を4分の1スケールの模型でやったりしてますが、楽々出来ちゃうのは、プラモデルのおかげと
確信しております。ありがとう三原くん。元気かな。

そして二度目の衝撃は中学2年の時。
1つ下の弟の健二郎が自分で作ったゲルマニウムラジオを見た時です。。
それは、台所で使う小さなプラスチックの容器のなかに、小さな電気回路をつくってイヤホンでAMラジオが聴けるものでした。プラモデルから卒業して、一瞬空白の自分には、まるで天啓のように思えました。大げさですかね。

それから弟と2人で京都の電気街のパーツ屋さんを巡ったりして、だんだん手作りのオーデイオの世界に入っていくのでした。中学生2人が、その当時の高級オーデイオの視聴コーナーにちょこんと座って聞き入っていました。
良い音でした。タンノイという超高級スピーカーでそこでかかっていたレコードもすぐ買いました。フランツリストをジャズのアレンジで演奏するものでした。愛の夢なんて曲だったかな?
2人でわざわざ父親の東京出張についていって、秋葉原でパーツを買って真空管のアンプを作ったりしました。

その後、自分はオーデイオラックの設計をしたり合板でスピーカーボックスを作ったりもしてましたが、
まさかその時は木工が自分の生涯の仕事になるなんて、夢にも思いませんでした。

そして3度目の出会いです。
信州大学で松本に下宿していて音楽好きになってた私はバンドでエレキベースを弾いてました。
ふと立ち寄った本屋で、木の手作り辞典とウッデイライフ創刊号に出会ったのです。

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そこに掲載されていた黎明期の木工家の姿は、その時のただの学生だった自分にとっては、
遠い、はるかな夢の世界のようでした。
どうやって、そこへいけばよいのか見当もつかないし、自分にはまったく実力がないのも十分に知っていました。

ただどうしても、そこへ近づきたいという思いがつのり、私は大学を中退してギター工場に就職したのです。
バンドのメンバーがそのギター工場マツモク工業で働いていて、紹介してくれたのでした。
竹本君ありがとう。ちゃんと重役面接をして、正式に入社しました。良い時代でした。

これでやっとスタート!てな感じです。

後日談 この写真の家具作家さんとは20年後に出会う事となりました。椅子をほめてもらい不思議な感覚。






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プロフィール

星野秀太郎、星野達彦

Author:星野秀太郎、星野達彦
安曇野の家具工房です。
shutarou_h@yahoo.co.jp

長野県安曇野市穂高有明 7363-2
TEL:0263-83-7586
年中無休

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